キングダム函谷関の戦い初日〜十五日目の主な出来事

こちらの記事では、キングダムの函谷関の戦いにおける、初日から十五日までに起きた、主な出来事をまとめています。

開戦前の背景や軍の布陣についてもご紹介します。

また、こちらの記事はネタバレを含んでいるのでご注意ください。

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函谷関の戦いの背景

始まりは楚国軍による侵攻

函谷関と蕞(さい)を主戦場とした秦国と合従軍の戦いの始まりは、楚軍が、秦国との国境にある南虎塁(なんこるい)を破り、秦国内へ侵攻したことから始まります。

楚国は、他の6国の領土をすべて足し合わせたほどの広大な国です。当然、軍事力も1国相手なら圧倒する力を持っています。

しかし、秦、韓、魏、趙、斉と国境を接しているため、他国への侵攻に対しては慎重にならざるを得ませんでした。

その大国楚が、大軍を使って秦国に侵攻してきたのです。

これは逆に言えば、秦国に攻め入っても、他の国が“絶対にその隙をついてこない”という確信があったと言えます。

連動して他の5国が秦国内へ侵攻

大国の楚が攻め入ってきたことで、秦国の本営には大きな動揺が走りますが、事態はさらに深刻な状況になっていきます。

楚軍に連動するように、魏、燕、趙、韓、斉までもが、秦国に侵攻してきたのです!

楚軍だけでも持て余すというのに、秦国にとって、この状況は絶望的なものでした。

合従軍の破壊力の凄まじさ

合従軍が起こったのは、40年前の一度きり。当時、中華の東半分を制していた斉がその標的でした。

燕の大将軍・楽毅を総大将とした合従軍は、瞬く間に斉国を侵攻。戦いが終わった時、斉の領土はたった2つの城を残すだけとなっていました。

その合従軍の矛先が、今度は秦国へ向けられているのです。

▶︎▶︎楽毅は軍神と称される燕国の名将

合従軍の首謀者は李牧

楚軍の侵攻から始まった、合従軍との戦いですが、それを裏で糸を引いていたのは、趙国宰相の李牧でした。

楚国の宰相・春申君を始めとする、各国の要人に接触することで実現しました。

ちなみに、史実では李牧は合従軍の戦いに関与したという記録は残っていません。

李牧が合従軍を起こした理由とは?

今回、李牧が合従軍を起こししたことには、とても大きな理由があります。

それは、秦国が中華統一へ向けて、“詰みの一手”を打ったことにありました。

その“詰みの一手”とは、秦国が魏の山陽を手に入れたことです。中華には、他にも拠点となる要所がいくつかありますが、山陽は、他のどの要所を手にするよりも大きな意味を持ちます。

秦国軍総司令・昌平君は、山陽を自国の領地としたことが、とてつもなく大きな意味を持つことを知っていて、この事実に気づくものはいないとタカをくくっていました。

なぜなら、その効果が目に見えてわかるのは、何十手も先のことで、おそらく、並みの能力の持ち主では、その時になっても、山陽が詰みの一手であったことに気づかないでしょう。

しかし、李牧と春申君は、この事実にいち早く気づき、対応したのです。

“詰みの一手”が討たれた盤上ごとひっくり返す。

それが、李牧と春申君がとった対応でした。

合従軍の最初の生贄は劇辛

劇辛は、燕国の大将軍です。

劇辛は、元々は趙国の人間でしたが、金で買収されて燕国へ移っています。もしも、そのまま趙国に残って入れば、廉頗と肩を並べる三大天になっていたと言われています。

その劇辛を、李牧は龐煖と共にたったの1日で討ち取っています。両軍ともに10万を超える大規模な戦が、たったの1日で終わったのです。

劇辛という大きな名が、李牧が本物の傑物であることを中華全土に広めることになったのです。

そして、各国の要人は、李牧という人間に興味を持ち、合従軍の提案に乗ったのです。

▶︎▶︎劇辛は史実では龐煖を侮って大敗する

函谷関の死守に全兵力を向ける

秦国が合従軍に対してとった作戦は、ある意味で定石通りでした。

総力で劣る秦国軍が、これ以上兵力差を出さぬように、国境付近へ散らばっていた軍をすべて、国門である、函谷関に集結させました。

合従軍の目的は、秦国の滅亡です。

それを果たすには、秦国内の城を全て落とすのではなく、王都・咸陽を落とすことが最大の目標となります。

咸陽は、山に囲まれた自然の要塞です。ここを攻め入るためには、函谷関を抜けるしかありません。

他の城の城壁の2倍以上の高さを誇る函谷関の城壁は、間近で見ると恐怖すら感じさせます。

函谷関とその周囲の山地を合従軍が抜けることを防ぎきることができれば、秦国の勝利です。

なぜ函谷関なのか?

合従軍と秦国軍の戦いはなぜ函谷関での短期決戦となったのか?

それには、直前で、合従軍を抜けた斉国の存在が原因にありました。秦国の外交により、斉国が抜けたことで、各国は、自国の背後に敵か味方かわからぬ存在を抱えることになりました。

そのため、秦国内の城を順に攻め落としていくような、長い期間を必要とする戦略をとることができなかったのです。

また、李牧は始めから、秦国の本営に対応策を考える時間を与えぬよう、最速で咸陽を目指す作戦をとっていたこともあります。

函谷関の戦いの史実

函谷関の戦いに関する史実の記録は、ほとんど残っていません。

秦の総大将は蒙驁だったと考えられ、函谷関を含めたあたり一体の戦場の指揮をとっていたはずです。

しかし、キングダムでは全体を指揮するような動きは見せていません。各武将が有能すぎるため、函谷関の死守のみに全力を尽くしています。

一方、合従軍の総大将は、史実でも春申君だったと考えられます。

形式上は、各国の軍は横並びであっても、軍である以上、トップは必要で、そのトップは誰もが認める名声が必要です。

函谷関の戦い初日の主な出来事

開戦時の両軍の布陣

楚軍(十五万) VS 蒙武軍(六万)・騰軍(三万)

魏軍(十万)・韓軍(五万)VS 蒙驁軍・張唐軍・桓騎軍

趙軍(十二万)VS 麃公軍(四万)

燕軍(十二万)VS 王翦軍(七万)

飛信隊は、麃公軍。玉鳳隊と楽華隊は蒙武軍に組み込まれました。

各国の総大将

  • 楚軍・・・汗明(かんめい)
  • 趙軍・・・慶舎(けいしゃ)
  • 魏軍・・・呉鳳明(ごほうめい)
  • 韓軍・・・成恢(せいかい)
  • 燕軍・・・オルド

合従軍の総大将・・・春申君

合従軍の軍師・・・李牧

楚軍と趙軍には、総大将の配下にも名だたる武将が控えています。

楚軍の主な武将

  • 第1軍将軍・・臨武君(りんぶくん)
  • 第2軍将軍・・・媧燐(かりん)
  • 第1軍千人将・・・項翼、白麗

趙軍の主な武将

  • 李白(六万)
  • 公孫龍(二万)
  • 万極(二万)

主な戦いと流れ

  • 麃公軍の突撃により、戦いの火蓋が切って落とされる
  • 麃公軍と飛信隊が、趙軍の李白軍を蹂躙していく
  • 趙国軍の慶舎が、第1陣で疲弊して後列に下がった麃公兵を攻撃
  • 飛信隊が崩れかけた麃公軍の後列の援護に入り立て直す
  • 魏軍が巨大な井闌車(せいらんしゃ)を使って、函谷関に橋をかける
  • 臨武君が、騰軍の録嗚未(ろくおみ)を一騎打ちで追い込む
  • 騰が臨武君に一騎打ちを挑み、圧勝する
  • 信が趙軍の万極を討ち取る

初日の戦いは、山間の中で行われている王翦と燕国軍の戦場を除いて、全ての戦場で激しい戦いが繰り広げられます。

函谷関の戦いのスケールの大きさを感じるには十分すぎるくらいです。

見どころは、魏軍と函谷関防衛を担当する蒙驁、張唐、桓騎の戦いです。

将軍どうしの一騎打ちや、数万規模の軍によるぶつかり合いという派手さはないですが、「李牧はこんな壁をどうやって打ち崩すつもりなのか?」と、これ以降の展開が気になって仕方なくなるはずです。

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函谷関の戦い二日目〜十四日目の主な出来事

楚軍第2軍の将、媧燐の提案もあり、合従軍は消耗戦へ切り替えます。

「全軍おおいなる凡戦を連ねて十日後に函谷関を落とすべし」という、媧燐の本部への進言どおり、2〜14日目までは、全ての戦場において大きな動きはありませんでした。

唯一、動きがあったのは、韓軍のみです。

韓軍の成恢が、毒兵器を使って函谷関を攻撃し、成恢が放った煙弾が、張唐将軍がいる付近へ命中しました。

このことが、十五日目の勝負をかけた戦いにおける楔となるのです。

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函谷関の戦い十五日目の主な出来事

函谷関の戦いは、15日目にして、ほぼ全ての戦場で一気に決着がつきます。

前日までとは打って変わって、合従軍全軍による総攻撃が始まります!

主な戦いと流れ

蒙武・騰VS楚軍の戦場

  • 蒙武が高等戦術である“斜陣がけ”を駆使して楚軍に突撃する
  • 媧燐が戦象を使って、騰軍の録嗚未と干央に巨大な砂煙を纏って攻撃を加える
  • 方陣で戦う騰軍に、媧燐が正面から突撃を食らわせる。
  • 戦象との戦いの後、散り散りになっていた録嗚未と干央が、方陣崩壊の危機に駆けつけて、媧燐軍を背後から攻撃する。
  • 2度目の斜陣がけで、汗明軍の戦力を両端に集中させたあと、手薄になった中央に、蒙武軍が突撃をする
  • 蒙武と汗明による中華最強を決める一騎打ちの末、蒙武が汗明を討つ
  • 蒙武軍が、汗明中央軍を粉砕した後、左右の軍を援護し強襲したことで、この戦場の勝利を確定させる

蒙驁・張唐・桓騎VS魏軍・韓軍の戦場

  • 矢が槍ほどの大きさのある巨大な弓矢と、井闌車を使って、魏軍が函谷関を着実に押し込んでいく
  • 桓騎が、井闌車を伝って下に降り、敵軍に紛れて韓軍の大将・成恢を狙いに行く
  • 桓騎と一緒に下に降りた張唐が、成恢を討ち取る
  • 行方をくらませていた媧燐軍の精鋭の半数が、函谷関の隣にある山地を抜けて裏に出る。
  • 函谷関の内側は、秦軍、魏軍、楚軍が入り乱れる乱戦となる
  • 函谷関の入り口の門が、楚軍によって開けられようとした時、王翦軍が現れてこれを阻止する

王翦VS燕軍の戦場

  • 王翦が陣取った砦の中央をオルドが攻め落とす
  • 王翦が戦場から姿を消し、再びオルド軍の背後に現れる。
  • オルド軍の精鋭部隊を王翦軍が殲滅する
  • オルドが、王翦軍が砦としていた場所に陣をしいたのを見て、王翦は再び姿を消す

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まとめ

蒙武が汗明を討ち取ったこと、王翦がギリギリのところで、函谷関が破られるのを防いだことで、合従軍との戦いは、秦国軍の勝利がほぼ確定しました。

歓喜にわく、秦国ですが、信や麃公をはじめとする、李牧を知る者は、まだこの男が大きく動いていないことに、疑問を抱いていました。

「合従軍との戦いはまだ終わっていない。」

それを証明するかのように、この日の夜、合従軍の参謀、李牧が姿を消すのでした。

そして、戦いの主戦場は、函谷関より、もっと咸陽に近い蕞へと移ります。

最後までご覧いただきありがとうございました!

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