劇辛の史実

こちらの記事では、劇辛について史実をメインに紹介していきます。

キングダムでは、合従軍の攻防戦の前に、李牧・龐煖が率いる趙軍と戦って、破れています。

史実でも龐煖に大敗したとされていますが、少し詳しく見ていきたいと思います。

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劇辛の史実

劇辛は、燕の昭王が、中華全土から優秀な人材をかき集めていたときに、趙国から燕国に移った武将です。

劇辛と同じ時期に、軍神と呼ばれる楽毅も燕国にやってきていて、二人は、昭王を大きく助けることになります。

燕国は、東の強国であった斉国に、ずっと辛酸をなめさせられていて、燕王・昭王は、「なんとかして、一矢報いたい」と考えていました。

その結果、楽毅が、合従軍の総大将となって、斉国を滅亡寸前まで追い込みます。

しかし、斉国の反間の計により、楽毅は総大将の任を解かれ、身の安全を守るために、燕ではなく趙国に亡命します。

劇辛にとって、頼りになる存在だった楽毅がいなくなったことが、劇辛の運命を大きく変えることになります。

▶︎▶︎楽毅は軍神と称される燕国の名将

龐煖との戦いに大敗する

趙国もまた、秦国による反間の計により。名将・廉頗や楽乗が趙国を出奔していました。

その後に、趙国を背負って戦ったのが、李牧と龐煖です。

劇辛は、もともと趙国の出身であり、廉頗とも旧知の仲でした。廉頗は、キングダムに登場するような理性を失くした野獣のような存在ではなく、実際には温和で人当たりのいい人物だったそうです。

そのため、劇辛は、龐煖のことを侮り、実際に戦えば勝つことは簡単だと考えていたようです。

しかし、実際に戦ってみると、龐煖の戦術に見事にはまり、大敗を喫し、討ち死にするのでした。

キングダムの劇辛は弱い?

キングダムに劇辛が登場するのは、合従軍との戦いが始まる前、李牧が龐煖を総大将として、燕国に侵攻したときのことです。

キングダムにおいては、劇辛と龐煖は旧知の仲というわけではありませんでした。

しかし、龐煖のように「我、武神なり」と声高らかに宣言して、各地を荒らしてまわる人物のことを知っていると語っています。

どうやら、キングダムには武神と呼ばれる存在は、龐煖の他に何人もいるみたいです笑。

劇辛は、そんな偽武神を、ことごとく打ち倒しているようです。

しかし、実際に戦ってみると、李牧の戦術のからくりを見抜き、李牧本陣を急襲しますが、突如現れた龐煖に、片手一本であっけなくやられてしまいます。

劇辛は、趙に残っていれば、三大天として、廉頗や藺相如に匹敵したと言われています。

実力は間違いないのですが、龐煖がさらにバケモノじみていたせいで、「かませ犬」のような登場で終わってしまいます。

事実、龐煖・李牧と劇辛の戦いは、後に合従軍を興すための布石に利用されています。

まとめ

劇辛は、個人としての武力、知力、統率力は決して低くなく、むしろ高い方です。

しかし、相手の実力を正確に測る能力に欠けていたと言えそうです。

「彼を知り、己を知れば、百戦危うからず。」

この言葉を劇辛が知っていれば、結果もまた変わっていたかもしれません。

ちなみに、孫子の成立時期は、春秋戦国時代の末期という説もあるので、まさに劇辛が生きた時代です。

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