王翦の鄴攻めと閼与攻略

こちらの記事では、王翦を総大将とする鄴攻めの全容と、鄴を攻略する上で重要な都市である閼与を、王翦がいつ攻略するのかについて考察しています。

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鄴攻めの背景

なぜ鄴を攻めるのか?

嬴政は、15年で中華統一することを目指しています。しかし、秦国軍総司令の昌平君は、「黒羊を拠点とした趙西部侵略の戦略では、15年で中華統一することは不可能」と確信します。

その理由は、李牧の指示により、新たな防衛拠点が太行山脈の麓に急ピッチでいくつも作られていたからです。これらの拠点を一つ一つ潰していては、趙国を滅ぼすことだけで10年を要すると、昌平君は判断したのです。

昌平君が提案した鄴攻めは、策としては2流3流の戦略でした。しかし、これくらい突拍子もない方法でないと、李牧を出し抜いて秦国が中華統一することなどできないとして、鄴攻めを嬴政に提案したのでした。

鄴攻めには、生命線とも言える兵站を無視した背水の陣で挑んでいます。あらゆる不測の事態に常に的確な判断が下せる人物を総大将に任命する必要があります。

そして、その重要な鄴攻めの総大将の任に、王翦将軍が選ばれたのです。

補足

黒羊・・・桓騎軍と飛信隊が、多大な犠牲を払って手に入れた要地。大きな丘になっている地形でここに砦を作り、趙西部侵略の拠点にしようとしている。

太行山脈・・・趙国の王都・邯鄲の西部にある自然の防壁。南に流れる黄河に挟まれた邯鄲は、自然の要塞の中にある強固な都市。

王翦の鄴攻めの全容

列尾で潰えた昌平君の戦略

王翦は、初めは昌平君に授けられた戦略に従って進軍しますが、列尾を攻め落とした後に、その城の全貌を見て「李牧め!」と初めて動揺する様子を見せます。

列尾は、もし他国に侵略されたとしても、すぐに奪い返せるように、李牧の策略によってわざと弱く作られていたのです。

列尾を拠点として保つことができなければ、このまま鄴に攻め行っても、兵站を絶たれ全滅することは確実です。

鄴攻めを続けるのか、全軍撤退するのかを決めなくてはならない状況下で、王翦が練り上げた戦略は、李牧の兵糧攻めに対して、兵糧攻めでやり返すという、誰もが思いつかなかった戦略でした。

補足

列尾・・・趙国の南西部に位置する国門。楊端和軍と飛信隊が列尾を攻め落とすことに成功。

王翦が鄴を攻め落とすための戦略が半端ない

王翦が練り上げた戦略とは、鄴の中をたくさんの難民で溢れ返させて、食料を大量に消費させるというものでした。

その難民は、列尾から鄴にたどり着くまでにある、9つ小さな都市を攻めた際に、民衆をわざと城の外へ逃すことで生み出したものです。

キャパオーバーの難民を抱えたまま、籠城戦に入らざるを得なくなった鄴は、他の都市からの援軍を待つ他なくなったのです。

鄴攻めにおける3つの大局

3つの大局

  • 王翦・飛信隊・玉鳳隊・楽華隊VS李牧・紀彗・馬南慈・岳嬰・趙峩龍・尭雲
  • 桓騎軍VS鄴(鄴周辺の解放軍)
  • 楊端和軍・壁軍VS舜水樹軍・犬戎軍

秦国と趙国、二つの国の命運をかけた戦いは、鄴を包囲する桓騎軍。その桓騎軍を含めた秦国連合軍を広範囲から包囲する趙国軍という、兵糧攻めのかけ合いとなりました。

鄴を解放できるだけの戦力を持っているのは、閼与と橑陽の2都市だけです。そのため、これら二つの都市からやってくる、鄴解放軍を、先に叩く必要がありました。

橑陽には、楊端和率いる山民族軍と壁軍。閼与に対しては、王翦、飛信隊、玉鳳隊、楽華隊が向かいます。

そして、閼与からの解放軍に総大将として入った李牧と、王翦率いる秦国軍が、朱海平原で激突することとなったのです。

王翦の閼与攻略のタイミング

閼与攻略は史実でもある

王翦が、鄴攻めと並行して閼与を攻略したことは史実です。そのため、朱海平原の戦いと同時か、その直後に王翦は閼与を攻略することは既定路線です。

閼与攻略の目的

閼与攻略は、鄴を攻略するために必要は不可欠です。

  • 鄴を包囲する桓騎軍が撃破され、鄴が解放されるのを防ぐため
  • 咸陽からの兵站を確保するため

桓騎軍は、鄴を取り囲んで兵糧攻めを仕掛けてつつ、四方八方からひっきりなしにやってくる、鄴解放軍を撃退しています。

この桓騎軍に打ち勝てるだけの兵力を持っているのが、閼与と橑陽であるため、それら二つの都市からやってくる鄴解放軍と戦っているわけです。

さらに、趙王都圏に入る際に通った列尾は、再び趙に奪い返されています。そのため、咸陽から連合軍への兵站が絶たれた状態です。

そこで、王翦は閼与を拠点として兵站をつなぐことを考えているはずです。

秦国連合軍の兵站が確保されれば、趙国の絶対的な優位性はなくなり、一気に形勢は秦国軍に傾くことになるはずです。

王翦が閼与攻略を鄴攻めと同時に行った?

朱海平原の戦いは十五日間に渡って行われるのですが、その中で王翦の姿が確実に本陣にあったのは、三日目までです。その次に王翦が本陣に現れたのは、十二日目でした。

この空白の期間を使って、王翦が単独で別働隊を率いて閼与に攻め入った可能性が高いです。

なぜ単独なのかというと、王翦軍の主軸となる亜光・麻鉱・田里弥・倉央の4将は、いずれも朱海平原に止まっていたことが確実で、さらに連合軍の兵力を閼与攻略のために割くと、たちまち李牧が中央軍を使って攻めてくるのは明らかだったからです。

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閼与を攻略するために王翦が用意した別働隊とは?

では、閼与を攻略するために、王翦が用意していた別働隊は、一体どこからきたのかというと、秦国の王都・咸陽からです。

王翦が鄴攻めに立つ前に、軍総司令の昌平君になにやら頼みごとをしていました。その内容が、「閼与付近に兵站と別働隊を用意しておいてほしい」というものだった可能性が高いのです。

王翦は、ひそかに朱海平原にある本陣から離れ、この別働隊を率いて閼与を攻略して帰還するのです。

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まとめ

「王翦は、別働隊を使って閼与を攻略する」

この真偽は、今後の連載で明らかになるはずです。

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