藺相如は史実では、数々の伝説を残した名宰相

こちらの記事では、趙国の稀代の名宰相であった藺相如について、主に史実を元に紹介していきます。キングダムでは、回想シーンの中でしか登場することがなく、印象も薄いのですが、実際は廉頗を凌ぐほどの伝説を残す傑物でした。

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藺相如の史実

出自

藺相如は、もともとは趙王・惠文王の臣下の食客でした。食客とは、身分に問わず才能ある者を養う代わりに、その才能を以って奉公させる制度です。

藺相如は、彼を食客とした趙王の臣下が、罪を犯し、処罰されることを恐れ燕に逃げようとする際に、助言をすることで、その臣下が窮地を脱することを手助けしています。

燕に逃れようとする趙王の臣下に対して、「なぜ燕に逃げるのですか?」と藺相如が尋ねると、「以前、燕王に謁見したとき、自分のことを厚遇してくれそうな素振りをみせてくれた」と答えます。

すると藺相如は、「それは、趙国が燕国よりも強国だからです。燕王は、あなたが趙国の重臣であるから、そのように振る舞ったのです。罪人として逃れてきたあなたには、憂こそあれ、利となることは何もありません。捕らえられて、趙国に差し出されるのが必定です。」

と言って、趙王の臣下が燕国に逃げるのを思いとどまらせています。

さらに「自ら処刑台に登り、罪を請えば、その潔い姿を見て、趙王はあなたを許すかもしれません。」と助言すると、その通りになり、その臣下は処罰を免れることになったのです。

「完璧」の語源となる故事をつくる

現代でも、度々使われる「完璧」という言葉は、藺相如が強国・秦との外交でとった、勇気ある態度と功績からきています。

秦国の王・昭襄王は、趙国に対して、趙国が所有していた宝物「和氏の壁」と、秦国の15の城を交換したいと申し出ます。

ちなみに、「和氏の壁」とは宝石のことで、種類は翡翠(ひすい)でした。

たった一つの宝物に、15もの城を差し出すという好条件でしたが、秦王がこれを守る可能性は低く、「和氏の壁」だけを受け取って、実際に城は渡さないのではないかというのが大方の予想でした。

しかし、一見すると趙国側が大きく得をする好条件なので、これを断ると失礼にあたり、侵略の大義名分を秦国に与えることになりかねません。

強国だった秦は、常々、侵略するための理由を探していたのです。見つからなければ、このようにして作り上げることもしていた程でした。

だからといって、壁を渡しても15の城を受け取ることはなければ、「趙国は秦国に宝物を献上した」となって、国の威厳を大きく損なうことになります。

秦国の条件を飲むのか、それとも断るのか、議論が交わされましたが一向に答えはでず、趙王も困り果てたところで、藺相如を養う臣下が、「私のところに、藺相如という優秀な食客がいます。」と、かつて、自分自身が処罰されるのを救ってくれた事例を出し、藺相如の意見を聞いてはどうかと提案します。

事情を聞いた藺相如は、「私が、使者として秦国へ向かい、壁を奪われることなく、また趙国の威厳も保ってみせます。」と言って、壁を持ち、秦国へと向かいます。

実は、この時、使者となるものは、壁を無事持ち帰るどころか、生きて帰ることすら難しいと考えられていました。

その使者を自ら願い出たとあって、趙王は藺相如に、この国難ともいえる交渉役を任せます。

藺相如から、壁を差し出された秦王・昭襄王は、すぐさまそれを我が物のように扱います。しかし、一向にして、約束の15の城を渡そうとするそぶりはありません。

昭襄王が約束を守る気がないことを察した藺相如は、「その宝玉には、実は傷があります。」と言って、その箇所を教えるふりをして、昭襄王から壁を取り戻します。

そして、すぐさま柱にかけより、「このような振る舞いは、身分の卑しい者でさえしない。それを大国・秦の王である人が、なんの恥じらいもなくなさるとは。これでは、多くの臣下が、秦王の取引は口約束だけで信用できないと意見するなか、秦王がそのようなことをなさるはずがないと進言する私と、秦王を信頼して壁を渡された趙王に合わせる顔がない。いますぐ、壁もろとも、この頭を柱で叩き割ってやる。」と凄みます。

藺相如の凄まじい気迫に気圧された昭襄王は、すぐさま15の城を受けわたす話をするのですが、藺相如は、信用できないと思い、「五日後にお渡しします。その間、趙王がされたように身を清めてください」として、すぐに壁を渡すことはしませんでした。

そして、その間に秦国にバレないように、使者を使って壁を趙国に送り届けます。

昭襄王が約束通り5日間、身を清め続けて、再び壁を求めたところ、「15の城を受けわたすという約束が守られることはないのではと危惧し、すでに趙国に返しました。しかし、昭襄王は、約束通り5日間身を清め、壁を受け取ろうとされています。私がとった非礼を死罪を以ってお詫びさせてください。」と言うと、秦王は、藺相如の胆力と知力に感服し、藺相如をもてなした上で、趙国へ無事帰還させるのでした。

結果的に、「和氏の壁」を渡すことも、そして、趙国の威厳を損なうこともなく、生きて任務を完遂したことが、“完璧”の語源となりました。

▶︎▶︎廉頗との固い絆〜刎頸の交わり〜

最期

「完璧」の他にも、数々の伝説を残す、稀代の名宰相だった藺相如は、キングダムでもそうであったように、史実でも病に倒れます。

藺相如と廉頗が趙国に健在の間は、秦国でさえ趙国に攻め入ろうとはしませんでした。

それほどまでに、二人の存在は大きかったのです。

しかし、藺相如が病床に伏し、趙王が惠文王から孝成王に変わると、秦国はこれを好機とみて、趙国に侵攻してきます。

その時の戦いが、有名な“長平の戦い”です。

この戦いは、廉頗、白起という二人の傑物をはじめ、多くの有能な武将が参戦しました。

序盤は、数で勝る趙軍があえて籠城戦略をとったことで、秦国は攻めあぐねた末に、反間の計を使って、趙国軍の大将を廉頗から、経験の浅い趙括に変えさせます。

この時、藺相如は、病の体を押してまで、王宮に参内し、大将交代を考え直すよう趙王に進言しますが、それが受け入れられることはありませんでした。

趙括は、名将とされた趙著の息子で、戦術に関する知識は豊富に以っていましたが、あらゆる局面に柔軟に対応できる経験を持っていません。

そのことを見抜いていた趙著も、「息子が大戦の将を任されることがあっても断るように」と遺言を残しており、趙括の母はこれを守り、趙王に進言するのですが、孝成王はこれも聞き入れませんでした。

この結果、趙国は、有能な武将を多く失い、国力を大きく落とし、もはや秦国の侵略に抗うことはほとんどできなくなるのでした。

そして、長平の戦いのあと、藺相如は病死します。

キングダムの藺相如

キングダムの藺相如は、本編における回想シーンの中でしか登場しません。

しかし、廉頗と並んで、旧・趙国三大天の一人に数えられています。

李牧と同じく、武勇を兼ねた名宰相でしたが、実際には、尭雲がその武の一端を担っていました。

中華の行く末を憂う姿が描かれていて、馬丘の戦いでは王騎と直接会って話をしています。

「人は思いを紡いでいける生き物だ」と語っていて、その思想は、嬴政が語ったものに通じるものがあります。

敵国の武将である王騎にも、恨みや憎しみといった感情は持っておらず、あくまでも自分の信念と、これまで受け継いできた思いのために戦っているように見えます。

「もしも藺相如が病に没することなく、健在であれば歴史は変わっていた」と言われるほどの人物です。

キングダムの中でも、その様子が描かれることはなかったですが、史実どおり、藺相如は二度ほど、秦王・昭襄王にあっています。

ちなみに、こちらの記事では紹介しませんでしたが、二度目というのは「黽池の会」と呼ばれる秦王と趙王が同席した祝宴の時でした。

この時、藺相如は趙王・恵文王に同行し、ことあるごとに、秦が趙を格下に扱おうとするのを機転を利かせて防いでいます。

まとめ

キングダムにおける藺相如は、廉頗のように、圧倒的な威圧感があるわけでもなく、実際に戦場で戦う姿を見せたわけでもないので、その凄さをいまいち理解できないでいましたが、史実を知れば、その凄さと魅力に気付かされます。

そもそも、数千年も前に生きた人物に関することが、これほどはっきりと語り継がれている時点で、その存在がどれほどのものだったのかは容易に想像できます。

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