廉頗将軍の史実、廉頗四天王も紹介

こちらの記事では、廉頗将軍について、史実に基づいて紹介していきます。

キングダムでは、趙国・三大天の一人として、中華屈指の実力を持つ将軍ですが、史実ではどうだったのでしょうか?

また、廉頗将軍は、藺相如と深い関係を持っていたようです。

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廉頗将軍の史実

刎頸の交わり

廉頗は、史実でも趙国に支えた名将です。

当時の宰相であった藺相如(りんそうじょ)とは、固い絆で結ばれた仲でした。

しかし、元々廉頗と藺相如は仲が良かったわけではなく、むしろ逆でした。廉頗は、藺相如が功績以上のくらいにいると考え、いろんなところで不満をこぼします。

ある時、藺相如が乗った馬車の近くを、廉頗を乗せた馬車が通りかかります。普通なら、藺相如はそのまま馬車を進めればいいところを、道を変え、廉頗を乗せば馬車が通り過ぎるのを待ってから、馬車を進めています。

この様子をみた、藺相如の部下は、位が下である廉頗に対して、どうしてそこまで臆病な振る舞いをするのかと苦言を呈し、辞職を願い出ます。

それに対して、

「強国の秦が、趙国に本格的に攻め入ってこないのは、自分と廉頗がいるからだ。

その2人の仲違いが決定的になると、その隙をついて必ず秦国は趙国に攻め入ってくる。」

と、自らの振る舞いは、趙国を思ってのことだと説明します。

この話を耳にした廉頗は、すぐさま藺相如の元へ向かい、これまでの非礼を詫びるとともに、刎頸(ふんけい)の交わりと呼ばれる、固い盟を結んでいます。

▶︎▶︎藺相如は史実では、数々の伝説を残す名宰相だった

反間の計

長平の戦いでは、秦国軍に対して、守りを固める戦略を取り、長期戦にもつれこませて、徐々に優位な立場に立ちつつあった頃、趙王から大将の任を解くという、不可解な命令が下される。

新しく、廉頗の代わりに対象になったのは、趙括(ちょうかつ)でした。

父に趙著(ちょうしゃ)という有名な武将を持ち才能もある趙括ですが、経験がなく、この時はまだ、長平の戦いのような大規模な戦で大将をこなせるような人物ではありません。

この大将交代の裏には、秦国による反間の計がありました。

趙括が大将になったあと、一転して攻撃にでるのですが、秦国軍も、王齕(おうこつ)を副将として、大将に、中華最強とも言われる白起を任命してこれを迎え撃ちます。

その結果、攻勢にでた趙括ら幹部を含む軍と、後続の軍を分断することに成功します。

そして、趙括が討ち死にしたことで、包囲された趙国軍は、秦国に投降することになるのです。

廉頗から趙括に大将を変えることには、藺相如を始め、趙括の母親ですら反対していました。

しかし、趙王が強行してこれを行ったために、致命的となる大敗を喫することになったのでした。

趙から魏、楚へ

廉頗は、その後、趙を出て、魏、楚と渡り歩くことになりますが、いずれの地でも、かつての趙国のように重宝されることはありませんでした。

キングダムの廉頗

キングダムで廉頗が初めて登場するのは、山陽の攻防戦の時です。

元・趙国三大天でありながら、魏国に亡命しており、山陽という魏の要所を守るべく、この戦いの大将に推されています。

しかし、余所者の自分が魏国軍の兵を統率することは難しいとして、白亀西を大将として、自分は副官として、戦に参戦します。

高ぶる戦場を求めて列国を渡り歩く

廉頗は、キングダムの作品中においては、国のためではなく、自分自身を高揚させてくれる戦いと好敵手を求めて、列国を渡り歩いています。

一騎打ちでも武力において、廉頗を上回るものはそうそうなく、軍略の才能も半端ないものでした。

かつて、秦国六大将軍と激しくぶつかり合ったことで、六大将軍のことを、敵でありながらも、一つの黄金時代を築いた仲間のように考えています。

廉頗四天王

廉頗四天王とは、廉頗を支える側近たちについた呼び名です。

それぞれが、得意とする分野を持ち、その得意とするものにおいては、廉頗をも凌ぐほどです。

廉頗四天王に名を連ねるのは、輪虎(りんこ)、玄峰(げんぽう)、介子坊(かいしぼう)、姜燕(きょうえん)の四人です。

輪虎

一人称が“僕”で、童顔の武将なので、一見すると頼りなく見えますが、その実力は折り紙付きです。

廉頗が大将を務める戦において、数々の武功をあげ、勝敗を左右する大きな仕事を幾度となくこなしてきています。

山陽の攻防戦では、決戦前に、秦国軍の千人将を次々に襲い、軍の統率力を削ぐ働きをしています。

結果的に、輪虎のこの働きが原因で、信、王賁、蒙恬は臨時の千人将に任命されています。

輪虎は、信と同じく戦争孤児で、廉頗に拾われました。その後、廉頗や玄峰に剣術と戦術を教えられたことに、大きな恩を感じています。

介子坊

見た目通り、正攻法の戦いを得意とする武将です。

真っ正面から敵とぶつかった時に最大の力を発揮しますが、軍略については、あまり得意ではなさそうです。

廉頗が、山陽の攻防戦において、状況的に魏国の勝利はなく、“詰んだ”と判断しても、まだやれると思い込んでいました。

玄峰

かつては、趙国軍全体の軍総司令を任されるほどの軍略家。

軍略においては、廉頗と輪虎の師匠でもあります。

しかし、桓騎の常人では思いつかぬ、元・野党だからこそできる奇策にはまり、討ち死にしています。

姜燕

中華十弓の一人に数えられる、弓の名手です。

矢の精度もさることながら、その飛距離は常人の弓使いの倍以上です。

その射程距離の広さを活かして、弓矢を使って、味方に戦略を伝える方法をとっています。

まとめ

廉頗は、武力、知略、統率力、そのどれをとってもずば抜けています。

貫禄を加味すれば、王騎以上ではないかとさえ思うほどです。

人柄としても、竹を割ったような性格で、とてもわかりやすいです。

ただ惜しむらくは、仕える王に恵まれなかったということです。

もしも廉頗が昭王や嬴政の元にいたならば、秦国はもっと早く中華統一を成し遂げていたはずです。

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