政が中華統一を成すまでの苛烈な道のり

こちらの記事では、キングダムにおける政が、中華統一を成し遂げるまでの道のりを紹介していきます。

政の半生を語るには、呂不韋、太后との関係が欠かせません。

作中では、合間に大きな戦いが挟まれるため、若干混乱しがちなこの辺りをまとめていきたいと思います。

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政の幼少期

秦の敵国・趙で生まれる

政が生まれたのは、秦と長年争ってきた趙国でした。

政の母親は、美姫(のちの太后)と呼ばれる、芸者(踊り子)です。

美姫は、元々は呂不韋と生涯を添い遂げる約束をしていましたが、突然、秦国の太子・子楚の元へ譲り受けられます。

太子とは、王の子の中で、王位を継承することが決まっている子のことです。

子楚は、元々は王位を継承する位置にいませんでした。それは、子楚(異人)が、秦国と趙国の休戦協定の人質として趙国に送り出されていたことからもわかります。

趙国にいた呂不韋が、子楚を見かけると、「奇貨居くべし」として、手厚く保護し、その後も全財産のほとんどをつぎ込むことで、無理やり太子に仕立て上げています。

子楚が呂不韋に美姫を紹介された時、そのあまりの美貌に惹かれ、「彼女を譲って欲しい」と呂不韋に願い出ます。

呂不韋は、美姫のことを愛していましたが、これまで子楚にかけてきた全財産を無駄にするわけにもいかず、不本意ながらも美姫を子楚に譲るのでした。

かくして、子楚との間にできたのが政でした。

しかし、一説には、呂不韋から子楚に譲られた時に、美姫は既に妊娠していたという説があります。

つまり、政の父親は子楚ではなく、呂不韋である可能性があります。これは史実としても、始皇帝の時代から噂されていることでもあります。

趙国で虐待を受ける日々を過ごす

政が生まれたとき、秦と趙は形式上では休戦中でした。

しかし、長平の戦いで秦の総大将・白起が趙国の捕虜40万人を食料問題や反乱を懸念して生き埋めにして虐殺したことで、趙国の人は、秦国に対して、言葉では言い表せないほどの憎悪の念を持っています。

表立って秦国に仕返しできないことで、趙国の人々の秦国に対する怒りは、すべて、10にも満たない少年だった政に向けられます。

そして、毎日のように虐待を受けた政の瞳は暗く、感情や感覚さえも失っていました。

この時、子楚は既に呂不韋の手によって、趙国を脱出して秦国にいました。

その時、美姫と政を一緒に連れていくような余裕はなかったようです。

美姫も、政と同じように、秦国の王族の子を産んだとして、趙国の民から虐待を受ける日々を過ごしています。

趙国脱出と怨念からの解放

子楚の父であり、秦王だった孝文王が崩御したことで、子楚が荘襄王として、正式に秦国の第30代国王になります。

このことで、秦国の太子となった政の趙国からの脱出が計画されます。

政が趙国を脱出するためには、いくつかの関所を通り抜けねばなりません。

そのために、紫夏(しか)という闇商人の協力を得ています。

紫夏は、政を命がけで秦国へ送り届けるだけでなく、政にまとわりついていた怨念を取り除くことまでしています。

政が、後に王騎や楊端和をはじめ多くの者が認める、強い意志を秘めた眼を持つようになったのは、紫夏のおかげです。

政の青年期

信と出会い、成蟜の反乱を抑える

荘襄王(政の父)もまた、若くして崩御したことで、政は13歳という若さで王位につくことになります。

しかし、その若さゆえに、呂不韋をはじめとする、文官たちが実権を握っていました。

そんな中、政の腹違いの弟である成蟜が、政に対して謀反を企てます。

周りに味方する者が少なく、一時は王都を離れ、黒卑村へ身を潜めます。その時、出会ったのが信でした。

信には、漂という同じ下僕出身の親友がいて、二人で天下の大将軍になるという野望を持っていました。

しかし、漂が政にそっくりだったことから、政の影武者として成蟜の反乱軍を引きつけ、政を王都から脱出させた末に、命を落としています。

信は、政が漂を身代わりとしたことに怒りますが、漂の遺言があったことで、政と行動を共にすることになります。

そして、山の民・楊端和の協力を得ることに成功した政は、王都を奪還し、再び咸陽の地に住むことになります。

呂不韋との覇権争い

王弟・成蟜の反乱を抑えてからは、呂不韋との覇権争いが激しさを増していきます。

合間に、趙国や合従軍の侵攻があったことで、内政の不和は一時的に解消したかのように見えますが、水面下では呂不韋が虎視眈々と王の座を狙っていました。

呂不韋は、大胆にも直接、政に刺客を差しむけています。信のおかげで、その刺客をはねのけていますが、黒幕に呂不韋がいたことは明らかであっても、政は呂不韋を裁くことができません。

自分に味方する者があまりに少なく、王宮内の実権を握っているのは呂不韋であることを痛感した政は、これまで避けてきた後宮勢力を味方につけることを画策します。

後宮には、実母である美姫(太后)がいます。

しかし、太后は、実の息子である政に全く母性を感じることなく、むしろかつての呂不韋に対して、捨てられた恨みを持ちながらも、同時に未練を大きく残していたようです。

そして、表面上は政に力を貸しながらも、裏では呂不韋と繋がっていたのです。

本来、王以外の男が、後宮に入ることは厳禁であり、呂不韋と太后の密通は、政にとっては付け入る隙となります。

それでも、呂不韋勢力に打ち勝つことは現実的に難しかったため、後宮を味方にできないと悟った政は、かつて反乱を起こした王弟・成蟜に力を貸すよう願い出るのでした。

成蟜が持っていた闇の人脈によって、政と呂不韋の覇権あらそいは、さらに激化していきます。

成蟜の変

成蟜が政に協力することで、呂不韋一派との覇権争いは拮抗していました。

そこで、呂不韋は、政の勢力を衰えさせるために、成蟜を狙います。

趙国につながりのある者を使って、秦国の屯留(とんりゅう)を侵攻させます。

これを食い止める軍が近くにいないことを予め知っていた呂不韋は、合従軍との戦いの時と同じように、大王・政が自ら先陣に立ち、軍を率いることを提案します。

大王が不在のうちに、呂不韋が大きく動こうとしていることは明らかだったため、成蟜が政の代わりに屯留に向かうことになります。

しかし、屯留を侵攻していた趙国軍があまりにあっけなく退却したことで、成蟜は、はじめから自分が狙われていたことに気づきます。

裏で呂不韋と繋がっていた屯留は、成蟜の名の下に、秦国に対して反乱を興します。

再び王弟が反乱したという報告に宮廷内は乱れますが、政だけは、成蟜の行動に違和感を感じていました。

その裏に呂不韋があることを疑った政は、反乱軍鎮圧の正規軍として壁を向かわせると同時に、密かに飛信隊を成蟜救出のために向かわせます。

飛信隊は、成蟜が呂不韋の策にはめられたことを確信すると、これを救出するために死力を尽くしますが、ギリギリのところで成蟜を救うには至りませんでした。

成蟜がいなくなることで、宮廷での覇権争いは、一気に呂不韋派に傾くと思われたところ、成蟜の第一夫人である、瑠衣(るい)が、代わりに成蟜一派を率いることで、拮抗状態を保つことになります。

政の加冠の儀

毐国の動乱

政の加冠の儀を翌年に控えた時、秦国だけでなく、列国に少なからず影響を与え得る出来事が起こります。

それが、太后が、自分の元へ送られた偽宦官の嫪毐を王として、毐国が独立国家を宣言したことです。

太原とよばれる、山陽付近の小さな地域のみをその領土としたため、最初は、すぐに消滅すると思われていましたが、趙高という有能な宦官の働きにより、みるみるうちに国としての形を整えてきます。

当然ながら、秦国は毐国に対して、すぐに独立国家という宣言を撤回するように働きかけます。

しかし、裏で糸を引いていた呂不韋の策略により、毐国は反乱を起こさざるを得ない状況に追い込まれていきます。

呂不韋の目的は、嫪毐という名ばかりの王を擁した毐国が、それなりに有能な将軍に軍を率いさせることで、咸陽を攻め落とし、そのどさくさに紛れて、王族を全て根絶やしにすることでした。

王族が全てなくなったあと、呂不韋は自分の配下にある蒙武を使って、反乱を納め、新たな国王になることを企んでいたのでした。

政と呂不韋の覇権争いに終止符

毐国の反乱は、呂不韋が覇権を握るために、仕掛けた最大で最後の計略です。

政が、この反乱を抑え、その黒幕にいる呂不韋にまで罪を及ぼすことができるかが、長きにわたって続いた二人の覇権争いの勝敗を決することになります。

秦国にいる大将軍は、皆、国外への遠征、もしくは国境警備のために出払っているため、咸陽を守る軍はほとんどありません。

そのため、毐国の軍でも、十分に咸陽を落とす力を持っています。

この反乱の黒幕に呂不韋がいることを知っている飛信隊は、成蟜の時の二の舞にならぬよう、今度こそ、政の正室の向とその娘(麗)を守るため、死に物狂いで後宮を目指します。

咸陽の中には、反乱軍だけでなく、呂不韋の息がかかった者が要所要所に配置されており、向と麗の命を狙ってきます。

一方で、咸陽の外では、戎翟公が咸陽に攻め入るべく城を包囲しています。これを防ぐために、河了貂を含む飛信隊と、呂不韋一派を抜けて、政側についた昌平君が立ち向かいます。

咸陽の内と外で激しい戦いが繰り広げられますが、結果は、政側の勝利に終わります。

そして、毐国の反乱の鎮圧を以って、政と呂不韋の覇権争いに終止符が打たれました。

政と呂不韋の天下についての議論

毐国の反乱が鎮圧されるより、少し前。

加冠の儀を、旧・王都で済ませ、正式に第31代秦国国王となった政は、呂不韋と天下について語っていました。

それは、違いが今後、国の覇権を握った時、どういった方法で国を統治していくのかを示す、公約のようなものでした。

実は、この時、毐国の反乱の成功の可否に関わらず、すでに二人の決着はついていたのです。

政の意志を聞いた呂不韋は、初めて自分以外の誰かに負けたことを自覚します。その時の呂不韋の表情というのは、これまでの半生全てが滲み出ていて、なんとも言えぬ感情を抱かせます。

この時の呂不韋の表情というのは、ひょっとすると、私の中では、キングダムの中で最も印象的な表情かもしれません。

政の結末は?

史実では

政は、中華を統一して、始皇帝となったあと、度々中華を巡遊しています。

そして、最後の巡遊の時に、病死したとされています。始皇帝になってからも、政は、度々刺客に命を狙われています。

しかし、遺言を残していることからも、始皇帝の死因は、本当に病死だったようです。

始皇帝の死は、再び中華で動乱が起こる引き金になりかねないと、巡遊に同行した、趙高、李斯らによって秘匿されます。

始皇帝が生前の時、自らの死期が近いことを覚悟すると、蒙恬とその近くにいた嫡子に、遺言を残しています。

その遺言を伝えることを任されたのが趙高でした。

趙高は、始皇帝が崩御したあとも、動乱が起こることを防ぐためという大義名分の元、李斯とともに、始皇帝の死を隠したまま咸陽に戻ります。

そして、始皇帝の遺言を改ざんし、蒙恬と、始皇帝の嫡子に自害を求める書簡を送ります。

蒙恬は、突然の命令を訝しみ、自害することなく投獄されますが、始皇帝の嫡子は、書簡にあるとおり自害したとされています。

そして、趙高は、徐々にその権力を増していきます。やがて、邪魔になった李斯も処罰し、始皇帝の遺言を改ざんして第2代皇帝とした胡亥(こがい)でさえも、亡き者にしています。

しかしこの趙高の独裁が、秦国を滅亡させることになります。

陳勝・呉広の乱から始まり、項羽や劉邦(前漢の高祖)によって秦国は滅亡させられるのですが、趙高が国を顧みず、自らの保身にばかり走ったことが、秦国の滅亡を早めさせたとも考えられます。

キングダムでは?

キングダムは、政が中華を統一し、信が天下の大将軍になるまでを描くとされています。

そのため、政の結末については描かれない可能性も十分にあります。

しかし、気になるのは趙高が太后の側で宦官としてすでに登場していることです。

趙高は非常に高い政治力を持っていることは事実です。毐国の建国の時にもその手腕を発揮しています。

始皇帝が急死し、趙高が徐々に秦国で権力を増大させていくとき、史実に基づけば、この時すでに太后はなくなっているはずです。

しかし、趙高が太后の側近として登場したことに、何らかの目的があるのならば、キングダムでも始皇帝の死後が描かれることがあるかもしれません。

ただ、キングダムの趙高には呂不韋のような出世欲だとか、天下をどうこうするといった野望は持っていないように見えます。

それがもし、毐国の建国を邪魔されたことで、趙高の中で何か変化が起こったとすれば、史実にあるような行動を取ることも考えられます。

ただ、それはあまりにもストーリーとして蛇足です。

趙高は毐国の動乱の後、関係者として蜀に島流しされています。

敵側にいた李斯でさえ、政は重宝していることから、趙高の有能さに気づき、側近として用いることはあるかもしれません。

しかし、趙高を中心としたストーリーが展開することは、おそらくないのではと思います。

まとめ

政は、秦国の王族として生れながら、趙国で育ったために過酷な幼少期をすごしました。

その経験が、中華統一を実現する上で大きな糧になっていたことも事実です。

そして、呂不韋との天下についての議論で、政が語った言葉は、まさにその時に得たことが大きかったことを表しています。

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