項燕の史実

こちらの記事では、楚国の大将軍・項燕について、史実を元に紹介していきたいと思います。

項燕は、秦国軍が楚国を侵攻する際に、大きな障壁となった名将です。

キングダムでは、項燕の他に禍燐や項翼などと共に秦国軍の侵攻に立ち向かうことになるはずです。

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項燕の史実

李信と蒙恬の連合軍を撃破

項燕は、楚国の将軍です。

李信(信のモデルになった将軍)と、蒙恬の連合軍20万の兵を、策略を用いて撃退しています。

李信と蒙恬は、楚国の城をいとも簡単に次々に落として進軍していきます。しかし、これは実は項燕の策略の内であり、わざと負けて秦国軍を油断させることが目的でした。

そして、李信と蒙恬が油断しきったところで、大軍をもってこれを打ち倒すのでした。

李信と蒙恬は、すぐさま退却しようとしますが、項燕は徹底的に秦国軍を追撃します。

李信と蒙恬が、項燕を引き連れて秦国へ向かっていると知った嬴政は、自ら王翦の元を訪ね、60万の兵を持って、項燕を迎え撃つようねがい出るのでした。

キングダムにおいては、信ならまだしも、蒙恬なら項燕がわざと負けて見せていることには気づくはずです。

それでもやられてしまったのは、罠に気づいていながらも、項燕の戦略にはまってしまったのか、それとも将軍として武功をあげることにあせった信が周囲の反対を押し切って、無謀な進軍をしてしまったのかのどちらかになりそうです。

王翦に大敗を喫する

李信と蒙恬を追撃しながら、ついには秦国の国門である函谷関にまでやってきます。

ここで、王翦将軍は60万の兵を配置して、項燕を迎え撃ちます。

合従軍では、数で優っていながらも函谷関を抜けられなかったことから、項燕もやはり、王翦が守る函谷関を抜けることはできませんでした。

遠征により、兵の疲労も限界に達したことで、項燕が退却を始めたところ、今度は、王翦が討って出て、徹底的に項燕を背後から追撃し、これを殲滅していきます。

項燕は最後まで抵抗を続けますが、楚王・負芻(ふすう)が秦国軍の捕虜となったことで、楚国は一時的に滅亡します。

昌平君を楚王に迎え入れ、秦国に反抗

項燕は、負芻の異母兄弟であった楚の太子、昌平君を楚王として、秦国に反抗します。

しかし、翌年、王翦は蒙武とともに項燕と昌平君を追撃し、昌平君、項燕どちらも討ち死にしたとされています。

さらっと重大事実を語ってしまいましたが、キングダムで秦国軍の軍総司令を任されている昌平君は、楚国の王として、今度は秦国軍と戦い敗れることになるんです。

項燕の子孫

項梁(こうりょう)

項梁は項燕の息子です。

秦国に対する最初の反乱を起こした陳勝・呉広の乱を引き継いで、秦国軍に反乱を続けました。

秦国の将軍、章邯によって討ち死にしています。

項燕の末子として、武信君と自ら称するなど、名将とされましたが、連戦戦勝する中で、慢心するようになり、油断したところを章邯に狙われる形となったのです。

項羽(こうう)

項羽は項燕の孫です。項梁は項羽の叔父にあたります。

項羽は、劉邦とともに秦を滅ぼすことで、祖父の項燕の無念を晴らすことに成功します。

その後、西楚の覇王を名乗り天下を手中に治めるのですが、劉邦との楚漢戦争で、敗北しています。

礼儀正しく、正義感もある人物でしたが、その逆鱗に触れると、残虐な行為に走ったようです。

そのため、項羽の部下は、恐怖に支配されるようになり、やがて、項羽の元から離れていくようになります。

そのことが、劉邦に敗北した一番の要因とも言われています。

まとめ

項羽は、楚国が滅亡するまでずっと、秦国軍と戦い続けた猛将です。

キングダムでも、今後登場することは間違いなく、主人公の信に大きな挫折を味わわせる存在になるはずです。

ちなみに、項燕と同じく、漫画・キングダムで楚軍の大将軍として君臨する汗明は、史実では武将ですらありません。

遊説人として、楚国の宰相、春申君の元に度々、拝謁を賜っていますが、そのしつこさに根負けした春申君が食客として迎え入れるも、汗明の意見を採用することはありませんでした。

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