
こちらの記事では、龐煖が史実では武神とは真逆の性質を持った武将だったことについて紹介していきます。キングダムでは登場するだけで圧倒的な存在感をかもし出しますが、実際には道家出身で知力に長けた人物だったのです。
龐煖の史実
出自
龐煖の名前が、記録の中で初めて登場するのは、龐煖が大将となって、燕の劇辛を討ち取った時です。
龐煖は劇辛と旧友の仲であり、その時はお互いに両国の将軍ではありませんでした。
龐煖には、劇辛を捕虜にしたとする説と、旧友であることを利用して趙を攻めた劇辛を討ち取ったとする説があります。
キングダムでは、これよりも前に、馬陽の攻防戦で大将を任され、王騎を一騎打ちの末に倒しています。
史実において、龐煖の出自は、楚の山奥で修行を重ねた道家出身だとされています。
キングダムでは、武神として武の象徴とも言える存在ですが、実際は真逆の性質を持つ人物だったと考えられます。
性格にしても、とても親しみやすい柔和な人物だったとされています。
しかし、龐煖が、武に対して大きな興味と関心を持っていたことも事実だったようです。
キングダムでも、龐煖は求道者として、世の理(ことわり)を知り人類を救おうとする存在だったことは、龐煖が道家出身だったことに通じているようです。
合従軍の大将に抜擢
また、合従軍による函谷関の攻防戦の際、龐煖は趙・楚・魏・燕の精鋭軍を率いて、蕞(さい)を攻めています。
龐煖は、道家の出身であるため、武勇は持ち得ず、純粋な軍略家というわけでもありません。
龐煖が変わった戦略をとることから、この時秦国で大きな力を持っていた王翦将軍ですら、龐煖との対決は避けていたとされています。
しかし、キングダムの読者ならみなさんご存知の通り、作品中では龐煖ではなく李牧が主導して蕞を攻めていますが「不抜」の結果に終わります。
龐煖は、楊端和率いる山の民の軍を、蹂躙して回りますが、楊端和と一騎打ちになりかけたところに現れた信によって、退却させられています。
鄴陥落の際、燕を攻略中だった
王翦・楊端和・桓騎が鄴、閼与を侵攻したとき、龐煖は北方で燕国に遠征していました。
鄴が秦国軍に攻められていることを知ると、急いで向かうのですが、龐煖が鄴に着いた時には、すでに秦国軍によって陥落されていたのです。
以上のことから、鄴攻防戦において、龐煖が登場していますが、そのような史実はありません。
ただ、龐煖の死因や結末に関しては謎のままなので、作品として脚色するにはちょうどよかったのかもしれません。
キングダムの龐煖の闘い
キングダムでは、龐煖は趙国軍の総大将の立場にありながら、単騎がけによる奇襲と強襲を度々行なっています。
龐煖の主な戦歴
- 馬陽で六大将軍の一人だった摎を打ち倒す
- 馬陽で摎を討たれたことで激怒した王騎に敗北
- 数年後、馬陽で味方の弓矢の援護を受けながらも王騎を倒す
- 燕国で劇辛を一刀両断する
- 蕞に向かう南道の道中で、麃公を倒す
- 蕞で信に撤退させられる
- 朱海平原で信との一騎打ちで敗れる
個人的には龐煖は王騎を討ち取った時にピークを迎えたと思っています。
その後は、蕞で信に退けられてから、衰退の一途を辿っています。
最初は登場するだけで、圧倒的な存在感を感じさせるキャラクターでした。
しかし、次第に単なる異物にしか感じられないキャラクターに成り下がっていきます。
まとめ
趙王の失策により、廉頗、楽乗という名将が趙を離れたことで、正式に趙国の将軍に任命されました。
道家出身という、特異な性質を持つ将軍であったため、龐煖との戦いに苦戦した将軍は少なくなかったようです。
キングダムでは、「武神」として、怒りの表情が描かれていますが、実際は真逆の人物だったのです。
ある意味で、李牧や信のために、引き立て役を担うキャラクターだと言えます。
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