趙奢は名将として名を残すも息子の趙括は・・

こちらの記事では、趙の名将・趙奢と、その息子の趙括について紹介していきます。

趙奢は、厳格な性格をした収税官の出身です。惠文王に武将としての才能を見出され、閼与の闘いで秦国軍を撃退するという大きな武功をあげ、馬服君の称号を得た名将です。

しかし、その息子の趙括は偉大すぎる父の下で、大きな苦労をしていたようです。

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趙奢は馬服君の称号を賜る名将

出自

趙奢は、もともと趙の田舎都市で税を徴収する収税官でした。厳格な性格で、身分に関係なく公正に税を徴収したことで、その功績が、時の宰相だった平原君に認められ中央に移ってからも、趙の税収に貢献します。

平原君は、数千人もの食客を養っており、それらを侮辱するものには、躊躇なく厳罰をくだしていました。

その平原君の家臣が、きちんと税を納めなかったことで、趙奢は彼ら九人を法の下に処罰してしまいます。

これに怒った平原君は、趙奢を殺害しようとしますが、「法を作る立場にある者が、法を守らずして、一体誰が法を守るというのか」と毅然とした態度で反論し、平原君は自身の過ちに気づき、趙奢を採用するように、趙王に進言したのでした。

閼与の闘いで、包囲する秦国軍を敗走させる

趙王・惠文王は、趙奢の武将としての才能を見抜き、収税官から将軍へと変えます。

閼与の闘いでは、包囲する秦国軍に巧みな戦術を仕掛けて、これを撃退しています。

この時に、馬服君の称号を賜ります。これは、廉頗や藺相如と同格にあたるものでした。

趙括が長平の闘いで大敗

長平の闘いは、それまでは、強国である秦に対して、ある程度の善戦を繰り広げていた趙国が、その力を大きく削がれることになる闘いです。

元々は、秦国軍の大将に王齕(おうこつ)、趙国軍の大将に廉頗が任命され、数に勝る趙国軍が、あえて籠城作戦をとったことで秦国軍は精鋭隊を用いても、中々攻略できずにいました。

そんなかで、秦国が仕掛けた反間の計により、趙王・惠文王に「廉頗には趙を裏切るそぶりがある」と嘘の情報を信じ込ませたことで、大将を廉頗から趙括に変更させてしまいます。

この時、趙奢はすでにこの世を去っていましたが、秦国の謀と、父親の名声のおかげで、経験がない趙括に白羽の矢がたったのです。

趙括は、仮想戦においては趙奢をも凌ぐ実力を持っていましたが、実際の戦を経験したことはありません。

そのため、趙奢は、息子の趙括がきちんとした順序を踏まずに将軍になると、かならず大きな失敗をおかすと見抜いていました。

そこで、遺言として、「もし趙括が大将に任命されるようなことがあっても、必ず断るように」と残します。

趙括の母親は、趙奢の遺言通り、趙王・惠文王に、大将交代を考え直すよう進言しますが、これが受け入れられることはありませんでした。

そして、趙括は武功をあせり、王齕の代わりに秦国軍の大将になった白起の策略にことごとくはまり、40万もの軍勢を捕虜にとられてしまうのでした。

まとめ

親の七光りとよく言われますが、趙括は仮想戦では趙奢に勝るほどの才能を持っていました。

趙括に、自分自身や相手の能力を性格にはかる力があれば、結果もかわっていたかもしれません。

また、いきなり国の命運を左右する大戦で、総大将をするのは大きなプレッシャーがあったことも否めません。

順番どおり、経験を重ねていれば、趙奢を超える名将になっていた可能性が高いです。

王賁や蒙恬のように、偉大すぎる父親を持つと息子は、とても苦労するようです。趙括も例外ではありませんでした。

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