呂不韋と政と大后の関係

こちらの記事では、呂不韋と大后(美姫)について、史実とキングダムの両方の観点から紹介していきます。

この二人の関係はとても複雑ですが、キングダムのストーリーの重要な軸になるものです。

呂不韋と政の覇権争いがどのように決着がつくのかについては、実際に作品を見て欲しいので、この記事では触れないようにして紹介していきます。

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呂不韋と大后の出会い

呂不韋と大后は、趙国で出会っています。

大后は、趙国の芸者(踊り子)でした。美姫(びき)と呼ばれ、誰もが彼女のことを手に入れようと躍起になっていました。

そんな美姫を手中にしたのが、若き頃の呂不韋です。二人は生涯を添い遂げることを約束します。

呂不韋と子楚

呂不韋と子楚(しそ)の出会いが、美姫の運命を大きく変えることになります。

子楚は、秦国の太子・安国君(後の孝文王)の子です。しかし、母親に権力がなく、秦国の王族でありながら、休戦協定のために、趙国に人質として出されます。

その時、子楚に出会ったのが、呂不韋でした。

「奇貨居くべし。」という有名な言葉は、子楚を目にした時に呂不韋が語ったものです。

つまり、王族でありながら、趙国でみずぼらしい服装で、苦しい生活をしている子楚を世話し、大きな恩を着せることで、子楚が次の太子になれば、自分の地位も大きく向上する考えたのです。

呂不韋は、財産のほとんどをつぎこんで、子楚を次の太子の座につかせることに成功します。

しかし、呂不韋が美姫を、子楚に紹介したところ、子楚が美姫を気に入ってしまい、「自分に譲ってほしい」と願いでてきました。

これまで、子楚に恩を着せるために、全財産をつぎ込んできた呂不韋としては、ここで子楚の機嫌を損ねるわけにもいかず、不本意ながらも、自分が愛した美姫を、子楚に譲るのでした。

後に呂不韋は、美姫のことを本気で愛していたと語っています。

美姫(大后)と政の地獄の日々

美姫と、秦国の太子・子楚との間にできた子が、政です。

趙国の民衆は、数年前にあった長平の戦いでの大虐殺の影響で、秦国に対して、計り知れないほどの憎悪の念を持っていました。

その憎悪の念は、10にも満たない少年だった、政と、秦国の王族の子を生んでしまった美姫に向けられます。

子楚が、呂不韋の手によって、すでに趙国を脱出し、秦国へ逃亡したため、政と美姫親子には、まともな収入がありません。

政は、毎日のように趙の民衆から虐待を受け、美姫は、体を売ることで日銭を稼いでいました。

政の趙脱出

孝文王が若くして崩御したため、子楚が王位につき、荘襄王を名乗ります。

そのため、荘襄王の嫡子である政は、次の太子となり、秦国への脱出が計画されます。

この時、秦国までの関所を通過するために、雇われたの紫夏(しか)と呼ばれる闇商人の一団です。

紫夏は、幼いころに、見ず知らずの商人に拾われ、命を救われています。

その商人は、紫夏がまだ恩を返しきれていないうちに、命を落としていました。その商人は死に際に「私に受けた恩恵は、また別の誰かに同じようにしてあげるように。」と伝えます。

紫夏は、その言葉を胸に、政を命がけで秦国へと送り届けます。

政の瞳に再び光を灯したのは、この紫夏だったのです。

呂不韋と政の覇権争い

政が若くして、王位につく

政の父である、荘襄王が若くして崩御したため、政は13歳の若さで王位につくことになります。

実質的な、国内の統治は、呂不韋を始めとする文官が行なっていました。

キングダムでも政は自らを「力無き弱王」と語っていますが、まさに、形だけの王だったのです。

キングダムは、政の側近であった昌文君が、信と漂に出会うところから始まっていますが、それより前には、このような出来事があったのです。

呂不韋と大后の密通

政が成長するにつれ、王宮内は政と呂不韋による覇権争いが激化していきます。

呂不韋は四柱とされる、李斯、昌平君、蒙武、蔡沢を筆頭に、大きな勢力を持っていて、政はかなり苦しい戦いを強いられていました。

そこで、呂不韋に拮抗する力を保つために、禁断の後宮勢力を味方につけようとします。

大后は、政の実母ですが、政に対して母性を全く持っていません。

それどころか、かつての愛人、呂不韋に対して、強い恨みを持ちながらも、未だに未練を残していたのです。

呂不韋は、そんな大后の想いを知った上で、政と後宮勢力が結びつくことを防ぐために、大后の要求をのみ、再び体を重ねるのでした。

史実でも、呂不韋と大后は政が王位についてからも、密通していたという記録が残っています。

呂不韋と政は親子

美姫(大后)は、呂不韋と深い関係がある最中で、子楚の元へ譲り受けられています。

政を産んだのは、子楚の元へ移ってからですが、実はすでに呂不韋との間に子ができていたという説があります。

その場合、政の父親は呂不韋ということになります。

もしそれが事実であれば、政は父親とも母親とも敵対して戦わねばならぬ運命にあったということになります。

始皇帝として、中華を統一した政は、常人では想像すらできぬほどの、過酷な人生を歩んでいたことになります。

呂不韋と政の覇権争いの結末

政が始皇帝として、中華統一したことは史実なので、呂不韋との覇権争いに勝利することは既定路線です。

しかし、キングダムは、この呂不韋との覇権争いを、思いもよらぬ展開で描いています。

それは、嫪毐という偽宦官を王とした、毐国という新しい国を建てた反乱と同時に描かれていきます。

この時の、政と呂不韋の、天下に対する議論は、まさに名シーンです。

まとめ

呂不韋と大后、そして政の関係は、とても複雑です。

本来ならば、親子であり、夫婦である関係なのですが、呂不韋が美姫(大后)ではなく、自らの野望を選んだ時、運命が大きく変わってしまったようです。

しかし、呂不韋が子楚に美姫を譲ったからこそ、政が秦国の太子として生まれ、後に中華統一を成し遂げる大王となることができたとも言えます。

「人の思いは繋がっていく」というのが、キングダムの大きなテーマですが、意図しないところで繋がっていくこともあるのかもしれません。

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