李牧の史実、悲劇の最期と結末とは?

こちらの記事では、趙国の名将・李牧について、史実を元に紹介していきます。李牧は、キングダムにおいて、主人公の信の最大のライバルとして描かれています。しかし、その最期は、稀代の名将としてはあまりに悲劇的な結末でした・・。

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李牧の史実

雁門で匈奴の侵攻を長年に渡って防ぐ

李牧は、雁門(がんもん)の将軍に任命されます。雁門は、匈奴(きょうど)の度重なる侵攻にあっていた土地でした。

将軍に任命されると、これまで匈奴の侵攻に対して、武力で対抗していた戦略から一転して、籠城戦略に切り替えます。

練兵を続けながらも、匈奴が攻めてきたら、狼煙を上げ、すぐさま砦へ逃げ込むという戦略を取り続けました。

それは兵だけでなく、一般庶民も同じでした。もしも、命令に背いて、匈奴と戦おうとするものは斬首という厳命まで下しています。

徹底して、守りを固めたことが功を奏し、李牧が雁門の将軍を任されてから、趙軍や民衆の被害は激減しています。

これに対して、趙の内外からは、「腰抜けの戦略だ」と揶揄するものが少なくありませんでした。

しかし、長年に渡り、匈奴の侵攻を受け続けた雁門には、そもそも、敵と戦えるだけの戦力はありません。

そのことに、いち早く気づいていた李牧は、守る戦術を取ったのです。

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赤麗と宜安に攻めてきた秦国軍を撃破

李牧は赤麗(せきれい)と宜安(ぎあん)に攻め入ってきた秦国軍を返り討ちにしています。

実は、この時の秦国の大将が桓騎です。

この戦いは、王翦、桓騎、楊端和の連合軍による鄴攻防戦の後に起こったものであり、桓騎はこの戦いで、敗走、もしくは討ち死にしたともいわれています。

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李牧の悲劇的な最期

秦国の侵攻を幾度となく防ぐ

鄴を取った後も、秦国軍の快進撃は続きます。次々に列国の城を攻め落としていく中で、この秦国軍の侵攻を跳ね返すことができたのは、趙国の李牧と、楚国の項燕だけでした。

秦国が中華統一を成し遂げる上で、最大の障壁となった二人と言えます。

反間の計によって、自害に追い込まれる

王翦、楊端和、羌瘣は、大軍を率いて趙国を攻めた時、趙国軍は、李牧と司馬尚(しばしょう)の2人を送り出します。

司馬尚と言えば、キングダムでも趙国の新・三大天に選ばれる名将です。

この2人に行く手を阻まれた秦国軍は、反間の計によって李牧を除外することを試みます。

趙王のお気に入りの重臣・郭開(かくかい)に賄賂を送り、郭開に「李牧と司馬尚が趙国を裏切ろうとしている」と、趙王に嘘の進言をさせたのです。

郭開の言葉を鵜呑みにした趙王は、李牧に大将交代の命令を下しますが、李牧はこれを無視します。

すると、趙王は、密かに暗殺者集団を送り込み、李牧を捉えて、自害に追い詰めるのでした・・。

同じく、司馬尚も大将を解任されています。

李牧と司馬尚の代わりに、趙国軍を率いた大将が、王翦にあっけなく大敗したことなどもなり、この数ヶ月後、趙国は滅亡することになるのです。

まとめ

趙国のために、匈奴の侵攻から雁門を守り、脅威を排除し、他にも数々の活躍をした李牧でしたが、最期はあまりにも悲しい結末を迎えることになります。

これは個人的な考察ですが、李牧ほどの人物であれば、趙王が何者かの進言によって、大将の任を解こうとしていることに気づいていたはずです。

ひょっとすれば、その黒幕に王翦がいたことにさえ、気づいていたかもしれません。

それでも、戦い続けたのは、趙国(王族や重臣)ではなく、趙国に住む民たちのためだったのだと思います。

その戦いの中で、仮に趙王が差し向けた刺客に捕らわれることになろうとも、最後まで自分の意志を貫き通したのだと思います。

そう考えると、単純に避けられない悲劇だったとも言えないのかもしれません・・。

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