蒙驁将軍は史実ではどんな武将だった?

こちらの記事では、キングダムにも登場する、実在した蒙驁将軍について紹介していきます。

作品中では、白老の相性で国民や部下から慕われている蒙驁将軍について触れていきたいと思います。

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蒙驁将軍の史実

蒙驁将軍の出身は斉国です。昭王の時代から嬴政の時代まで長きに渡って秦国のために戦った武将です。

韓、趙、魏と複数の国を股にかけて城を陥落させています。

中でも、魏の要所であった山陽を含む20の城を攻めた時、その領土を東郡として新たに秦国の領土としたことは有名です。

蒙驁は、王騎、麃公と同じ時期に将軍になっています。

戦場で長く活躍するも、死亡したという記述はないため、引退して余生を過ごしたものと考えられています。

キングダムの蒙驁

初登場

キングダムで蒙驁将軍が初めて登場するのは、魏国との山陽の攻防戦の時です。

元・趙国三大天の一人、廉頗が率いる魏軍に対して、周到な砦を構築して挑みます。

蒙驁将軍は、それまでも、廉頗と幾度となく戦っていますが、ことごとく負け続けていました。

あらゆる場面を想定して、最後の最後で廉頗から大金星を得るために作り上げた砦でしたが、廉頗の常人ばなれした勘と洞察力によって、破られてしまいます。

函谷関の守りの要

合従軍が攻め入ってきた時、国門である函谷関の守りを任されています。

同じく、長年戦場で戦ってきた張唐将軍とともに、“重み”を持って、函谷関を死守しました。

老衰でこの世を去る

史実通り、キングダムでも、蒙驁は老衰によってこの世を去っています。

孫の蒙恬と信が、その場に駆けつけますが、息子の蒙武は、遠征中だったこともあり、その場にはいませんでした。

「蒙恬、信、王賁の三人で一緒に高みへ登れ」

という言葉を残して逝きます。

蒙驁将軍は、決して派手さはないですが、定石通りの戦術を駆使し、経験で培った人を見る目で、優秀な武将を率いています。

王翦と桓騎がその代表となる将軍です。二人とも、実力は文句なしに優秀なのですが、思考や素行に問題ありと言われています。

蒙驁将軍にとって、そういった表面的なことは些細なことで、もっと奥深くにある本質的なところを見抜いていたのかもしれません。

六大将軍を嫌っていた?

蒙驁将軍は、王騎や白起といった六大将軍と同世代の武将です。

そのため、ちょっとやそっとの武功では、その力を認められることはありませんでした。

六大将軍の力を認めた上で、やはり嫉妬のようなものは感じていたようです。

函谷関の戦いにおいて、同世代で、同じく六大将軍の座を手にすることができなかった張唐に「最後まで生き残ったワシらの勝ち」と話しています。

たしかに、落とした城の数と同じくらい、いかに長い間戦場で戦い続けることができたかも重要なことです。

▶︎▶︎蒙武は史実ではどんな武将だった?

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