
こちらの記事では、キングダムに登場する蒙武が、史実ではどんな武将だったのかについて紹介していきます。キングダムでは、汗明との中華最強をかけた一騎打ちが最大の見どころです。実際に、蒙武は武の力に長けた武将だったのでしょうか?
蒙武の史実
蒙武は、蒙驁の子で、蒙恬(もうてん)、蒙毅(もうき)の父です。
蒙武の名前が初めて記述されたのは「秦本記」における「斉を討った」というものでした。
この時、燕、趙、韓、魏、秦の5カ国が合従軍を組んでいます。その矛先が楚ではなく、斉で、秦国の大将が蒙武だったとすれば、蒙武はこれよりもさらに前から活躍していた武将ということになります。
しかし、この後蒙武の名前が登場するのは、60年後です。
王翦の副将として、楚を討ったという内容の記述が残っています。
これは、二十万の兵を率いて、楚を攻めた李信と蒙恬が、楚の大将軍・項燕(こうえん)に大敗北を喫したことで、今度は逆に秦国へ侵攻してきた項燕を退けた時のものと考えられます。
しかし、前述の記録が正しければ、どんなに若くても70歳半ばから後半の年齢で戦ったことになります。
この時、王翦も高齢だったことから、前線から一歩引いたところで、用兵術を用いて戦ったのかもしれません。
もしくは、斉を攻めたのは、蒙武ではなく、父の蒙驁だった可能性もあります。
キングダムの蒙武
キングダムの蒙武といえば、中華最強に最も近い武将の一人です。
蒙武が初登場するのは、王騎が大将をつとめた、馬陽の攻防戦です。
この時、蒙武は大将を任されてもおかしくない実績と能力を持っていましたが、この攻防戦が「攻め」ではなく「守り」の戦いであったことから、「攻め」を得意とする蒙武は、王騎の副将となっています。
この戦いで、王騎の生き様を目の当たりにしたことで、蒙武はさらなる成長を遂げます。
汗明との中華最強をかけた一騎打ち
蒙武の一番の見どころといえば、楚の大将軍・汗明との一騎打ちです。
汗明は、六大将軍の中でも、もっとも勇猛な武将だったとされる王齕(おうこつ)を、あっさりと倒しています。
武力でいえば間違いなく、中華最強に最も近い汗明と、蒙武の一騎打ちは、これまでのものとは、別次元の力と力のぶつかりあいでした。
蒙驁や蒙恬の死に際にも動揺を見せない
蒙武と汗明の一騎打ちの際に、割って入ろうとした楚の武将を止めようとした蒙恬が、逆に二人の間に入り込んでしまします。
この時、勝負に水を差された汗明が怒り、蒙恬に一撃で致命傷を与えてしまいます。
深手を負った蒙恬に最後の言葉をかけて欲しいと迫る蒙恬の部下に、「俺のせがれは、こんなことで死にはしない。」と一蹴してしまいます。
その姿に動揺はまったくなく、蒙恬がどうなっても構わないというわけでもなく、そう振る舞うことで、蒙恬を勇気付けたのです。
実際に、蒙武のこの言葉に蒙恬は反応を見せ、命をとりとめています。
また、蒙驁が老衰によって、亡くなろうとしていた時も、蒙恬は遠征先から急いで駆けつけていますが、蒙武は、遠征先に止まっています。
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