桓騎の弱点と結末

こちらの記事では、桓騎将軍の略歴や、魅力、強さや弱点について紹介していきます。残虐なことを平気でする桓騎ですが、見た目のかっこよさや、頭の良さ、大胆な作戦を実践する胆力が人気です。桓騎の結末を史実も踏まえて考察してみます。

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桓騎の略歴

略歴

初登場となったのは、魏国との山陽攻防戦でした。この戦は、旧・趙国三大天の廉頗との戦いであり、桓騎は廉頗四天王の一人、玄峰と総大将の白亀西を討ち取っています。

桓騎は、元野盗の頭目で、秦の南方で略奪と非道の限りを尽くしていました。桓騎を捕らえに来た兵を、幾度となく返り討ちにしています。

経緯はまだ明かされていませんが、蒙驁軍に副官として入ってからは、武功を重ね実力だけなら、大将軍にもなり得る力を持っています。

桓騎の弱点とは?

強さ

桓騎が、敵将と一騎打ちをするシーンというのは、意外にもありません。

策を駆使して敵の戦意を削いだり、身動きが取れない状況に追い込んでしまうからです。

戦っても、よほどの相手でないと負けることはないはずですが、麃公将軍や蒙武将軍のような、武の力に頼った戦はまずしません。

戦わずして勝つことが、もっとも難しく、そして最上の結果であると知っているかのようです。

弱点

黒羊丘の攻防戦で、趙軍の将軍、慶舎は桓騎の弱点がわかったということを話しています。

そして、このことは李牧にも共有されています。

連戦連勝で、負けるところが想像できない桓騎ですが、負けるとすれば李牧で間違いありません。

桓騎の弱点については、まだ明かされていませんが、次のようなものではないかと予測できます。

  • 正攻法の戦いが苦手
  • 軍全体の協調性の低さ
  • 守りが苦手

正攻法の戦いが苦手

桓騎軍は、これまで正攻法を使った戦いをほとんど見せていません。平地で視界の開けた場所では、桓騎が得意とする奇襲を仕掛けることが難しく、単純な武力勝負になります。

また雷土やゼノウを初め、幹部クラスの武力はとても高いのですが、層の厚さを見ると若干不安があります。

実際、函谷関の戦いでも、桓騎たち幹部クラスが抜けると、担当区域を魏軍に大きく占領されていました。

これは、代わりの指揮官がいないことも要因として考えられます。

軍全体の協調性の低さ

軍全体の協調性の低さについても、幹部以外に、指揮官の代わりを務める人材がいないことに通じるものがあります。

さらに、雷土やゼノウ、砂鬼などは、もともと、1つの野盗団だったことから、横の連携は皆無です。

各個撃破を狙われたとき、大きく崩れる可能性があります。

守りが苦手

桓騎軍は、函谷関の戦いでは函谷関の守りの一角を任されていますが、これは蒙驁将軍と張唐将軍とは異なるタイプの桓騎を加えることで、不測の事態に対応することが大きな目的だと考えられます。

蒙驁軍では、王翦軍が守り、桓騎軍が決め手となる動きをすることが必勝パターンでした。

函谷関の戦いでも、単純に守るのではなく、敵の総大将を狙いにいっています。

守る立場にあっても、基本的には攻めの戦略を取っていることから、単縦な守りをせざるを得ない状況になった場合、意外と脆く崩れる可能性があります。

蒙驁将軍が鍵?

桓騎は、相手が目上だからといって、敬意を払うような人物ではありません。そんな桓騎は、蒙驁将軍に対しては、敬意を払い敬語で話しています。

ひょっとすると、蒙驁将軍は、桓騎の弱点に通じる何かを掴んでいたのかもしれません。

桓騎が何を考えているのか、黒桜や摩論といった参謀でさえわからないところがあります。そんなミステリアスな桓騎のことを、蒙驁将軍はズバリ言い当てたのではないでしょうか?

蒙驁将軍は、人を見抜く、洞察力がずば抜けているため、桓騎に「この人にはかなわない」と思わせることができたとしても、不思議ではないです。

桓騎の結末

史実

ちなみに桓騎は、キングダムでは野盗出身ですが、実際にはどうだったのでしょうか?

実は、この時代、野盗を討伐するよりも、懐柔することが選ばれることは少なくありませんでした。

そのため、桓騎が実際に野盗出身であった可能性は十分にあります。

桓騎は、鄴攻めに大将の一人として参加したのち、そのまま趙の邯鄲を孤立させるために、平陽といった周辺の都市を攻め落として回ります。

そして平陽を攻め落とした後、宜安を攻めた時に、李牧に敗北したという説が有力です。

この時、李牧に討たれたという死亡説と、燕に逃亡したという亡命説の二つがあります。

燕に逃亡したあとは、樊於期(はんおき)と名乗ったとされています。

キングダムでは

キングダムでは、亡命説を取るのではないでしょうか?

実は、樊於期は、キングダムで登場しています。毐国の将軍として反乱軍を率いて戦っています。

息子の樊流期(はんるき)は、この反乱で信との一騎打ちに敗れ、処刑されています。

樊流期が処刑される現場に姿を現す樊於期が描かれているため、後々もう一度登場する可能性が高いのです。

それがおそらく、燕国に亡命しようとしたときなのではないでしょうか?

桓騎という名は、有名すぎるため、そのままでは燕国に入ることはできません。

そこで、樊於期になりすますのでは?と考察します。

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